つやま夢みのりWEB 作州津山の「夢」味わってみませんか
メーカーの思い
(株)三宅商店 醸造部長 三宅 慎市

三宅商店さんの事業内容を教えてください

昭和10年からお酢作りと販売を続けています。
もとは明治28年からつやまでお酒作りを始めまして。

−歴史古いですね。

そう思われるでしょう(笑)。でも造り酒屋で明治28年創業と言ったら新しい方なんです。江戸時代のころの造り酒屋はその土地の名士、本当のお金持ちの人たちばかりです。今でも個人の美術館は造り酒屋さんが持っとられることが多いんですが、これもその名残です。江戸時代は本当に造り酒屋が儲かった。で、まだ明治時代と言えば造り酒屋がまだまだ儲かった時代で、私のひい爺さんが岡山県南部の寄島に住んどったんですが、当時津山市は林業が盛んで活気のある町で、そこで造り酒屋をすればこれは儲かるだろうと、そう考えてこの津山に移り住んで造り酒屋を始めたんです。

−津山はそんなに活気があったんですか?

それはもう、江戸時代には岡山藩が30万石で津山藩が18万6千5百石ですよ。岡山の約3分の2の経済規模があったんです。それが今では人口で言ったら岡山市が63万人で津山市が合併後で11万人。7分の1です。今では考えつかないですけど当時の津山は岡山と拮抗するぐらいの都市だったんです。だからその活気がある津山で商売を始めようとひい爺さんは考えたんですけど、造り酒屋は諸々の事情で途中で止めました。それでこんどはお酒の卸売りを始めたんです。子孫の私が言うのも変な話なんですけど、じいさんはお酒造りもうまかったんですが、お酒の味利き、つまり利き酒には抜群のセンスがあったみたいなんです。岡山県で何回も利き酒のトップになりまして、その才能を活かして酒の卸売りでは成功したそうです。

−利き酒が上手だと卸売りが上手くいくのでしょうか。

それはですね、当時の酒卸と今の酒卸が全然違うからなんです。
今はただ酒屋が作った酒を卸売りするだけですけど、江戸や明治時代には造り酒屋が造った酒を卸酒屋がブレンドして、独自ブランドで卸酒屋が酒を売ってたんです。

−ウイスキーみたいですね。

そうです。ちょうどそんな感じです。
で、卸酒屋業は順調だったんですけど、じいさんはやはり自分の手で何か作りたいと。そこで原料は同じお米のお酢作りを昭和10年から始めたわけです。こちらは上手く行きまして、津山地域の皆さんに愛されながら現在まで事業が続いています。

−なるほどなるほど。

ところがここ何十年かは大手のお酢製造業さんがものすごい勢いで市場を寡占化していきまして、私たちのような、地方で細々とお酢作りしとるところは大変厳しい環境の中に置かれています。いろいろ大手さんが全国にシェアを伸ばしているものがありますが、特に私たちの醤油、清酒は大手のシェアが高いんです。その中でお酢は上位数社で全国シェアの7〜8割でしょう。だから地域のお酢屋さんはどんどん大手に押されて、じり貧か、廃業してしまっています。

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